「夕日に眠る戦艦大和」の衝撃

 中2の秋、その後の日本アニメの発展に大きな影響を与えた「テレビまんが」が放送を開始しました。1974年に日本テレビで日曜日の夜7時半から放送された「宇宙戦艦ヤマト」です。

艦船オタクの勘違い

 当時の私は、次々と発売されるWLの艦船プラモを作りつつ、「丸」などの情報誌を読み、大東亜戦争における連合艦隊の栄光と滅亡の歴史に強い想い入れがあったので、戦艦大和の名がこの「宇宙戦艦!?」とやらに使われていたことが、パロディー的な扱いを受けている感じがして、不愉快でした。
 このころは、今のようにネットで情報を得られる時代ではなかったので、愛読していた「戦場漫画シリーズ」の作者でもある松本零士氏が、この「宇宙戦艦ヤマト」の監督になっていたことなど露知らず、一方的な偏見でこの番組を捉えていました。
 というわけで、初回放送のときは、何も考えず裏番組である「猿の軍団」を見ていました。しかし、その放送が終了したので、何気にチャンネルを回して日本テレビに切り替えました。

脳裏に焼き付く名シーン

 その瞬間、重厚なBGMとともに映し出されたのは、夕日の中にたたずむ、朽ち果てた未来の戦艦大和の姿だったのです。これには、大げさではなく、雷に打たれたような衝撃が駆け抜けました。
 昭和20年4月に戦艦大和が最期の戦いに挑み、沈められた事実はもちろん知っていましたが、その大和の250年後の未来の姿など想像したこともなく、只々そのシーンに魅せられていました。
 令和の今となっては、海底に沈んだ戦艦大和の残骸が発見され、このシーンとは全く違う姿で戦艦大和が眠っていることを知っています。それでも「夕日に眠る戦艦大和」のシーンは、あの日以来脳裏に焼き付き、消え去ることはありません。

夕日に眠る戦艦大和

 後に再放送で第1話の「冥王星会戦」における沖田艦長と古代守の名シーンを見て、一方的な思い込みで放送を見逃したことを後悔しました。この「冥王星会戦」では、沖田艦長の乗艦する主力戦艦と駆逐艦雪風を彷彿とさせる「ゆきかぜ」が勝ち目のない戦いに挑む姿に、史実の天一号作戦「戦艦大和の沖縄特攻」をモチーフにしたのではないかと勝手に考えました。

ヤマトが拓いたアニメオタクへの道

 宇宙戦艦ヤマトは、「アルプスの少女ハイジ」という強力な裏番組の影響で視聴率が振るわず、全39話の放送予定が26話で終了しました。これにより、最終話でいきなり地球に戻ってくる話になり、少々ストーリー展開に無理があるなと感じたものです。 

 高2の時、後にアニメ専門誌となった「月刊OUT」が「宇宙戦艦ヤマト特集」を掲載しているのを見つけ、即効購入したことを思い出しました。60ページに渡りヤマト誕生秘話、全話のストーリー解説、更にはヤマト大辞典と称して用語解説までありました。
 6月号の反響が大きかったせいか、9月号でも「宇宙戦艦ヤマトわあるどPART2」と題して特集が組まれています。当時、まだアニメ雑誌というものは存在せず、これだけのヤマトの情報や画像が掲載された書籍は他にはなかったと思います。

宇宙戦艦ヤマトを特集した「月刊OUT}

 宇宙戦艦ヤマトは、再放送でその人気に火が付き、劇場版も制作され「宇宙戦艦ヤマト(劇場版)」、「さらば宇宙戦艦ヤマト~愛の戦士たち~」を高3のときに見ました。
 この「宇宙戦艦ヤマト」が、子供が見る「テレビまんが」から大人も見られる「アニメーション」へと移り変わる切っ掛けになった作品だと思います。これ以降、堂々と「アニメオタク」を宣言できるようになりました。

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